地元千葉はやっぱりいいところだった
こんにちは
帰省のため出身の千葉県へ帰っている僕です
先日千葉に住む友人と3人で房総半島弾丸旅行を敢行してきました。
当日は朝から豪雨
おはようございます今日も雨男は元気です
— Toda@雨男 (@kx_penta) 2016年8月19日
自他共認める雨男の僕ですがここ数日は神宮での野球観戦を中止にさせた以外は不発。
久々の大雨にげんなりしながらも西船橋駅で集合しレンタカーを借ります。予約していたクラスより1ランク上のクラスの車なはずのカローラアクシオが出てきて、(これなら予約したクラスのスイフトかデミオが良かった)という心の声を抑えながら出発。一行は外房を目指しひた走ります。
県内屈指の難読地名行川
3人で県内を回るということは早々に決まったのですが、どこへ?となった時にGOMI氏が「ベタだけど行川アイランド行きたい」と発言。あれ?行川アイランドってベタなの?とか思いながらも「あぁ廃墟の中では駅チカでベタだよね」と思ってしまうあたりお察し。ちなみに読みは行川(なめがわ)。読めないよね。ぎょうこうって最初読んでた。
行川アイランド近くに車を停めるとおせんころがしの看板。こんなところから行けるの?と思いつつ、先へ進むと海が見えてきます。
行川に着く頃には雨どころかド・ピーカン。雨男はやっぱり不振のようです。よかった。関係ないけどピーカンって死後らしいですね。まぁ元々業界用語だしあまり一般的な言葉ではなかったのかな?
おせんころがし殺人事件で有名なおせんころがし。
どういうわけかここではiPhoneでしか写真とってなかった。Twitterからの流用ですいません。
柵もなにもなく、注意喚起の看板もなし。と言うか入り口がわかりづら過ぎて人来るの?って感じ。写真右下ももうすぐ崖なので怖いったらない。
そして行川アイランドの正面入口へ。正面から撮ったくせに水平も左右対称も取れてないとは何事だ。
行川アイランドは1964年に開園、フラミンゴのショーなどが人気でしたがマザー牧場やディズニーランド等に観光客は奪われ、さらに外房への観光客はシーワールドのある鴨川へ集中。経営不振から2001年に閉園を迎えます。
その後は2004年頃に敷地をドーミーインなどを経営する共立ハウジングが取得。ウェルネスの森として開発を計画しますが、リーマンショック以降の景気低迷により頓挫。現在でも廃墟としての余生を送っています。
正面入口は完全に封鎖。駐車場右奥の通用口から侵入が可能です。しかし敷地は立ち入り禁止。侵入は自己責任。僕は入ってませんよ?なにせ蛇は出るしキョンは繁殖してるし、何よりこの時期は草だらけな上にヒルがいますからね?蜂の巣も有るみたいだし、こんな真夏に廃墟探索なんてしませんよ。えぇ。
外房黒潮ラインをひたすら南下
行川アイランドは早々に撤退を決めとりあえず一同「クジラが食いたい」ということで和田浦方面を目指し南下します。
途中で金山ダムを見たり鴨川の道の駅に寄ったりしますが、写真は残っておらず。どうやら一緒に持って行ったF2で何枚か撮ったようなので現像してからのお楽しみ。
和田浦についた一行は「つ印 くじら家」さんでクジラの漬け定食を頂きます。
和田浦は関東唯一の捕鯨基地。毎年夏になるとクジラの解体を無料見学でき、一見の価値有りです。
昼に食ったクジラの漬けは大変美味であった pic.twitter.com/IIRcXHTzRM
— Toda@雨男 (@kx_penta) 2016年8月20日
県道86号線で内房へ
和田浦から国道410号線で更に南下。房総最南端の野島埼灯台を華麗にスルーして県道86号線を通り館山方面へ。
その後一度来てみたかった富津岬へ。謎展望台に上り「富津岬すげぇ!!めっちゃ飛び出してる!!」を堪能し”日本のウユニ塩湖()”こと江川海岸へ。
陸上自衛隊木更津駐屯地裏の江川海岸には海へ伸びる電柱がありちょっとした有名スポット。元はアサリの密漁者を見張るための監視小屋へ電気を送る物だったそうですが、今は無人。海に映る雲と電柱がさながらウユニ塩湖のようだとキュレーションサイトで一時話題になったそうです。
しかし、人が集まったことによりマナー悪化で電柱の撤去もあり得るとのこと。
確かにこの日も結構な人数が江川海岸を訪れており、ゴミもそれなりに落ちていました。人気が出て人が来るのは良いですが、マナー悪化は問題ですね。濃溝の滝もマナー悪化が問題になりつつ有るとか。
なんだか立ち入り禁止ばかり撮ってる気がする。
ウユニ塩湖とまではいかないものの物珍し風景は楽しめます。
天気が良ければなお良し。それかもっと荒天。奥の雲に稲妻でも走ってれば世紀末感でそう。
今回のルートはこんな感じ
ルート修正がめんどくさくなったので江川海岸からの帰宅ルートが若干違いますがほぼこの通り。
こう見ると房総半島半周くらいは出来てますかね。走行距離は300kmちょっと。燃費は概算でリッター16くらい出ててびっくりしました。高速で伸びたとはいえ山道も走ってこの数字は立派なのでは。
僕は未だに免許持っていないので同行したGOMI氏、Mix氏の運転でした。お二人共運転お疲れ様でした。
県内で行ってみたい場所はまだまだあるので早く免許を取らねば・・。
次はどこへ行こう。
MXの遺作を現像してきた
こんにちは
最近本格的に写真撮っていないにもかかわらず、物欲だけはいっちょまえな僕です。
先日久しぶりにフィルムを現像に出してきたのでブログの方でも少し写真を貼って行きます。
#photography #ペンタ党 pic.twitter.com/ivGBuuVgLg
— Toda@7/17日産スタジアム (@kx_penta) 2016年8月1日
季節感無視の画像をtwitterに上げたりもしてます。
朝の田んぼ、轍にできた水たまり
稲を植えたばかりの田んぼ
この時期の田んぼは水面の反射が楽しい。
この辺りのコマまでは正常に動いていたんですが、18枚くらい切った後巻き上げレバーが固くなる不具合発生。
一部こんな多重露出のコマができておりました・・・。
Lomographyっぽくない?そんなことないか
小さい駅、夕焼け。
写真を始めたきっかけは鉄道だったなぁ。
もうすっかり鉄道は撮らなくなったけど、未だに駅の雰囲気はすごい好きだし。目的もなく電車に乗ってただ車窓を眺めてるような旅をしたい。
肝心のMXの方ですが、この後Ektar100を34コマ撮った後本格的にお亡くなりに・・・。当初は巻き上げの不調のみだったんですが、今では1/1000以外で切るとミラーが戻ってこなくなります。
今年に入って35mm版は2つダメにしてるので、ちょっと自分の管理に自信無くしてきました。MXは戴き物ですが、ずっと欲しかったカメラで、1ヶ月ちょっとしか使ってませんが愛着もかなりあるためお金を貯めてしっかりOHしてあげようかと。
今回使ったフィルムはフジの業務用の400。twitterに上げた紫陽花の写真は思ったよりいい色出てたんですが、やはり全体的にぼやっとした印象。安いから良いけど値段以外で選ぶ理由が無いかな・・・・。とは言えフィルムも値段は上がるし数は減るしで贅沢言えないんですがね。
さぁ部の合宿に持っていく35mm版が無くなった。これはどうしたものか。
今までのカメラ遍歴をつらつらと
こんにちは
写真もとってなければ特に機材が増えたわけでもなく、とにかく更新のネタがない僕です。
先月は千葉県民の日に面白いのかどうかもわからない記事を書いたのみ。個人的にああいう話は好きなのでこれからもちょくちょくやっていこうとは思ってますが・・。
そして今回は一応カメラネタ。
初めて触ったカメラって覚えてる?
さて突然ですが、みなさん初めて触ったもしくは初めて買ったカメラって覚えてますか?同世代の方だと初めて使ったカメラがデジカメなんてのも当たり前どころか、パトローネを見たこと無い人もいるのでは・・・。今の僕の世代辺りがボーダーラインでは・・・。
実は先日twitterで昔使ってたカメラの画像が回ってきたので、思いつきでこんな記事を書いております。そんなわけで僕の大まかなカメラ遍歴をつらつら書いてみることにします。
ミノルタ capios20
僕の記憶にある中で恐らく最初に使ったであろうカメラがこのcapios20。pentaxianなのに最初に触ったのはミノルタだったんだなぁ。当時は小学校低学年。操作が簡単なので写真を撮るくらいはできましたがカメラの名前なんて気にしていなかったので、最近になって初めてcapiosという名前を知りました。
当時僕にとって写真は父親が撮るもの。父親は自分にとって怖いイメージが強かったので、なんとなくカメラは自分が触ってはいけないモノって感覚がありました。ある時父親に「撮ってみるか?」と聞かれた時は嬉しかったのを覚えています。
富士フイルム クリアショットM
capios20を使わせてもらったのがよほど嬉しかったのか、僕は自分のカメラが欲しくなります。当時公文式に通っていて、どんなシステムだったかは忘れましたが通っているうちに貯まるポイントの最上位の景品にこのクリアショットMがありました。恐らく親にねだってもカメラを買ってくれないと思ったであろう僕はこの景品でクリアショットMを手にれます。親にねだった記憶が無いってことはそういうことなんだろうな・・・。
これが、確か小学4~5年生くらいの時。しかしまぁこのクリアショットMは当時の僕にとっては使い勝手が悪かった。
レンズは29mmのF5.6固定の単焦点。自動巻きなので作業としてはフィルムの装填後はシャッター押すだけ。capiosを借りていた僕にとってズームできないというのは衝撃だった記憶があります。電池もやたら食うし、突然の電池切れでうんともすんとも言わなくなるし、大きいしで結局フィルム3本分も使わなかったんじゃないかな・・・。
CASIO QV-R51
カシオ デジタルカメラ オフィシャルWEBサイト | 製品情報 | QV-R51
さぁここに来て初めてデジカメを手にします。カシオがEXILIMシリーズを発売する前のカメラです。2004年発売で500万画素のセンサーは1/1.8型CCD。
これはカメラが好きな叔父に貰ったもの。叔父は確実に今の趣味に影響与えてますね。こいつは恐らく小学5年生の夏以降に貰ったのでは・・・。小5の夏にクリアショットMを使った記憶があるので多分それ以降。小6になってたかはちょっと微妙。
光学ファインダーがついていて、非常に使いやすかったと記憶しています。EVFにアレルギーがあるのはこいつも一役買ってます。ズームがシャッターボタンの周りにレバーがついていて、非常に扱いやすかったのでお気に入りでした。
PENTAX Z-70P
自宅の押し入れをあさってたら出てきたカメラ。僕がpentaxianになる元凶とも言えるカメラ。祖父母のものだったらしいのですが、使ってないから持ってきたとのこと。持ってきたところで使ってねぇじゃんとツッコミを入れつつ、貸してもらうことに。しかし小学生の僕に一眼レフを渡されても使い方わかんねえ!!ってなるだけ。自動巻きAF機なんで一応写真は撮れるんですが、今思うとろくに扱えてなかったんだなぁと思うばかり。
操作系はダイヤルに擬態したダイヤルもどきでシャッタースピードを設定するので今思うと扱いづらそう。まぁマニュアルモードで使うことなんてなかったですけどね。このカメラは現役で動くはずですが、実家でお留守番なのでかれこれ6年くらいは使ってない・・・。
画像のレンズはズームリング内のピンがスッポ抜けてしまい、ズームができない状態。一度分解してみたら、ピンが入っていたネジ穴がバカになってて修理に出しても無理そうな状況でした。もう一本ついてた200mmくらいのズームレンズどこやったかな・・。言っちゃ悪いけど安っぽいレンズでした。
カシオ EX-Z270
2代目のデジカメもカシオ。これもやっぱり叔父から貰ったもの。
モードがかなり増えてましたが、操作系は同じカシオなのでQV-R51とほぼ同じ。前回のお気に入りポイントだったズームもシャッターボタン周囲に配置。てっきりこいつはCMOSだろうと思ってたらこちらも1010万画素CCDだったんですね。
発売は2009年なので、貰ったのは中1頃のはず・・・。しかしお古を貰ってたと思ってたんですが、発売から1年経たずに貰ったんだな・・。
PENTAX K-x
今の相棒K-x。買ってもらったのは2010年。当時カメラの選び方などわからないながらも色々調べたりはしたんですが、知人2人に勧められたのとZ-70Pのレンズがあったって理由で当時のPENTAXのエントリー機に決定。スペック表上は他社に比べコスパも良かった気がします。
今思えばダブルズームキットを買ったんだからZ-70Pに着いてたSIGMAのレンズなんて使う機会無いじゃん・・・・。
買ってからは1年半位鉄道ばっか追っかけてましたが、気がつけばカメラ趣味をこじらせる結果に。ここから先ちょくちょく機材が増えるのはまた別のお話。というかこれ以上は機材紹介記事と被るんで省略。
振り返ると今の趣味に結構な影響を与えてると実感
こんな感じでカメラを使って来たわけですが、Nikon、Canonにとことん縁が無いなぁ・・・・。今現在Nikonのコンデジを一つ所有してたり、祖父がS2を持ってたりでギリギリNikonには縁がありますが、Canonはとことんない・・・・。叔父もCanonのカメラ持ってなかった気がする・・。トップシェアとは何だったのか。
こうやって自分のカメラ遍歴を振り返ってみると、カメラ趣味はK-xからとばかり思ってましたが、capiosの頃から写真を撮るのは好きだったなと思い出します。そう考えると今の趣味は必然だったのかも。後は親戚含めた刷り込みと血筋ですかね。QV-R51なんかは光学ファインダーは必須と思わせた原因のカメラだし、意外と本格的に始める前からカメラの好みは形成されていたんだと初めて気がつく結果に。
他の人のカメラ遍歴だったり、カメラ趣味に入ったきっかけなんかも面白そうだな。
千葉県民の日なので津田沼のお話
6月15日。千葉県民の日。
47ある都道府県のうち千葉県民以外には全く関係無い上、公立小中高校生までにしかほぼ関係のない一日。公立の学校だと休みになるちょっとお得な一日だったのですが、決して祝日とかでは無いので土日と被るとなんの有り難みも無い日だったりします。ちなみに僕が高校生だった頃の最後の2年間は連続で土日と被ったので、そもそも高校は休みになったかすら覚えてません。
そんな千葉県民の日ということで、せっかくだから出身の千葉の小ネタでもやろうかということで今回は津田沼、中でも新京成についてのちょっとしたお話。なぜ津田沼なのかというと、高校・浪人時代にお世話になったのと、最近身の回りで少し津田沼の話題が出たので、そのまとめの意味も込めてということですので、別段大した理由はありません。
大半の人には凄まじくどうでもいい話だと思うのでお暇な方はお付き合い下さい。
軍都・千葉県
軍都とまで言ってしまうと大げさな気もしますが、千葉県は軍隊にとってもそこそこ重要な場所だったりします。今だと習志野駐屯地辺りは思い浮かぶ方はいるのでは。他にも現在では廃墟ですが、検見川送信所などの逓信建築も残ってたりしますね。
そんな中でも千葉は軍の鉄道連隊のお膝元。現在の西千葉駅と津田沼駅周辺に軍の鉄道連隊の演習地が千葉には有りました。津田沼駅の南側が第二連隊の所在地で跡地は現在千葉工業大学の敷地となっています。鉄道連隊正門は同大学の敷地内に残っており、現在国の登録有形文化財に指定されています。西千葉駅周辺にあった大一連隊は現在千葉経済大学のキャンパス内に材料廠が、千葉公園内に演習用橋脚とトンネルのドームが遺構として残っています。
元第二連隊の演習線・新京成線
千葉県内に存在した第二連隊ですが、演習線が新京成線として残っています。これは戦後演習線を京成へ払い下げたもの。演習線の軌間は600mmと実に狭いものでしたが、払い下げ時に1067mmに改軌。その後何度か改軌を繰り返し現在の1435mmになります。新京成線が以上にカーブ区間が多いのも演習線だったためです。現在の新京成線はほぼ演習線のルートですが、一部変更になっており、その廃線跡も微妙に残ってるとか残ってないとか。
3度の移転をした新津田沼駅
さて今回の本題(?)の新津田沼駅のお話。
新津田沼駅は1947年の開業以来3度の移転を繰り返し現在の位置にいます。ちなみに千葉駅も移転して今の位置にあるんですよ。本来千葉駅は拡張工事の予定でしたが色々闇の深い理由での移転だったりします。その名残が千葉にはあるんですが、それはまた別のお話。このブログでは触れないことにしよう。
では4度の移転のを当時の航空写真とともに追っていくことにしましょう。
今回使用する航空写真は国土地理院の「地図・空中写真閲覧サービス」
http://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do#1
こちらのものを使用させていただいております。
1947年開業時
こちらが開業当時の津田沼駅周辺。ペイントでの雑なものですが、青枠の部分が鉄道連隊で現在の千葉工業大学ですね。赤丸が当時の新津田沼駅。当時はまだ軌間は1067mmです。現在よりもややJR津田沼駅寄りの位置にありました。
1953年一度目の移転
先ほどより少し引いた画で解像度も低いですが、赤丸部分が当時の新津田沼駅。写真は1958年のものです。画像右上部から線路が分岐しているのがわかります。この分岐部には現在前原変電所が残っており、当時の名残が見られます。この大胆な移転は津田沼駅とは少し離れた京成津田沼への乗り入れのためで、この新線により新京成線は京成津田沼~前原間が開業します。
1961年初代の位置へ再移転
1953年の移転から8年後。当初の路線を復活させ元の位置に新津田沼駅が戻ってきます。線路や駅の位置は同じなので画像は省略しますが、2代目新津田沼駅は藤崎台駅と改称。この時、現在イオンモールがある位置に京成の工場があり、藤崎台・新津田沼両駅からの引き込み線が存在しており、ループ状の線路になっていました。
移転の理由として大規模団地誘致の際、日本住宅公団から津田沼駅への乗り換えが不便であると移転要請があったようです。
1968年現在の位置に移転
津田沼駅への乗り換えが不便と言われ移転した新津田沼駅ですが、利用者から「新津田沼行きと京成津田沼行きがあるのはややこしい」と言われ結局藤崎台を通るルートを廃線とし、新津田沼駅を現在の位置に移転し、京成津田沼~新津田沼間が開業します。
その後1977年に写真のように駅ビルが完成します。この当時はまだ藤崎台を通るルートの廃線跡が割りとはっきり確認できます。
藤崎台を通る支線跡は現在イオンモール東端付近から県道69号線へ向かう道が確認できるのみで、そこから先の前原変電所までは完全に宅地になっています。
ざっくりではありますが、千葉の小ネタと新津田沼駅の変遷をまとめてみました。とはいえほとんどWikipedia大先生のお陰ですが・・・・。
ちなみにこれもWikipedia大先生からですが、津田沼という地名は谷津村・久々田村・鷲沼村・藤崎村・大久保新田の5つが合併。中核だった谷津村・久々田村・鷲沼村の3つから一文字ずつ取り津田沼となったそう。5つの村の名前の内4つは地名として残っていますが、久々田村は現存せず。現在の住所だと習志野市津田沼の周辺が旧久々田村だったようで、ポーラ化粧品久々田営業所が京成津田沼駅近くにありなんとか地名の名残が確認できます。
以上千葉家県民の日キャンペーンでした。
そろそろこんな記事でお茶をにごしてないで、シャッター切らんとな・・・・。
洗濯奮闘記後編
引っ越してから洗濯機に振り回された記録の後編です。
前回よりはマシですが、今回も多少の汚れが写った写真があるので注意して下さい。
前編はこちら
槽洗浄を行ってもダメそう
さぁ前回あまりの汚さに槽洗浄を行った僕ですが、臭いはキツイし汚れはいつまでも出てくるしで半ば諦めムード。そもそも槽洗浄を行ってもどこまで汚れが落ちているかは目に見えないので不安しかありません。こうなったら残る手は一つ。
見えないところの汚れなら分解すればいいじゃない!!
ってことで洗濯機を容赦なくバラしていきます。
まずは操作パネル部を外していきます。
どの洗濯機も共通かはちょっとわかりませんが、操作パネルはネジとツメで固定されています。
ネジを外したらこのようにマイナスドライバーなどを隙間にねじ込みツメを外してあげると操作パネル部が外れます。
外したところはこんな感じ。
操作パネルからの配線を切らないように注意してパネル部は壁に立てかけておきます。
洗濯槽上部の縁の部分もツメで固定されているので外していきます。
8箇所ほど外すと簡単に取れます。
この時点で洗濯槽の水があまり来ない上部の部分にも汚れが見えます。
この辺りは酸素系漂白剤での槽洗浄でも無理ですかね・・・。
さぁ続いて洗濯槽下部の羽の部分を外します。
中央のネジを外したらペンチなどでつまむと取れます。
掴みにくい形なので手だと厳しいかも。
羽を外すと36mmの大きなボルトが出現します。
こいつを外すと洗濯槽がゴソッと引き抜けるはずですが・・・・・。
36mmまで使えるレンチとか洗濯機に入るわけねーだろ!!!!!
普通の小さいボルト3~4本(?)で固定しているタイプもあるみたいなのですが、今回はとことんハズレくじのようです。
しかもこのボルトどうやら汚れで固着しているようでびくともしません。
556をさしてみたり熱湯で汚れを浮かす方法を試してみたりしたのですが、動く気配なし・・・。これはソケットレンチが無いと無理だな・・・・・・。
ということでこうなったら最後の手段!!
新品!!!!
ええ諦めましたよ。
ホントのところ分解始めた時点で新品買う気でいたんですがね。排水口は汚いし、洗濯機はまともに使えないしでイライラもしてたので、多少楽しむくらいしないと気がすまなかったので分解を始めたわけで・・・・。洗濯槽を引き抜けなかったのは心残りですが、買った店舗に連絡したところ保証期間内だったので全額返金で返品の対応をしてくれたので、まぁ問題なし。
新品の洗濯機も以前下見した時より数千円安くなっていたし、ヨドバシのネット会員のおかげで送料は無料。設置は自分でやったので、費用も抑えられたので良しとします。
今回の教訓
今回のことで学んだこと。
知識も無いのに中古で家電を買ってはいけない。
ある程度知識があれば故障箇所の予測や中古に起こりやすい不具合がわかるので、中古品の選び方もわかってくるのですが、何も知らないと外見の状態程度でしか判断できないのでやっぱり家電は中古で買うもんじゃないですね。
洗濯機の場合だとどうしても中古で買う場合は、槽洗浄済かどうかの確認。
洗濯槽の状態を確認できるレベルまで分解してもらえるのがベストですね。槽の確認をさせてもらえない場合はおとなしく新品を買うのが良いかと。
それから、物件を借りる場合排水系はしっかりと確認しておくこと。
洗濯機、風呂場の排水口は特に蓋を外して要確認。汚い場合は借りないもしくはその場で不動産屋に指摘しておくことでハウスクリーニングもしっかりやってもらえるのでは・・・。借りてからもひどい状態なら再度不動産屋に連絡し対応してもらいましょう。
排水以外も何か少しでも気になることがあったらバンバン聞いていきましょう。その場で聞かないと借りてから後悔することになりますからね。
なんだか消化不良な終わり方ではありましたが、洗濯機との格闘はここで終わり。
ベランダの物干し竿の位置が低すぎて洗濯物がまともに干せないのはまた別のお話・・・。
物干しの位置がどう考えても低いんだけどどうにかならんのこれ pic.twitter.com/dThgfnXp1t
— Toda@写真リハビリ中 (@kx_penta) 2016年5月22日
物干し竿の台ホームセンターで買うか・・・・・。
物欲以外の出費は避けたい5月・・・。
洗濯奮闘記
こんにちは
ネットが開通してWi-Fiの素晴らしさを実感している僕です。
今回は今年の4月から新生活を始めて約1ヶ月にわたり洗濯機と格闘した記録を自分への戒めとして書いていこうと思います。1ヶ月とはえ、その間ずっと格闘してた訳じゃないですけどね。
今回はこいつが活躍します
以下ちょっとした虫の画像や汚れなど汚い画像が含まれますので苦手な方はご注意下さい。
戦いは洗濯機が来る前から
話は3月末。大学進学のために引っ越して一人暮らしを始めることになったのですが、学費やら家賃やら諸々の費用を出してもらってる身としては贅沢は言えるわけもなく、親に言われるがままリサイクルショップで中古の洗濯機を購入しました。正直なところ中古家電には抵抗がかなりあったんですが、状態も良さそうに見えたので妥協して購入。繁忙期のため配送に時間がかかるとのこと。
洗濯機が届く1週間ほど前。家の洗濯機用の排水口が何やら臭う・・・・。コバエもちらほら見かけるし何かおかしいということで色々ネット検索をかけて、洗濯機の排水口の掃除に取り掛かります。
排水口は蓋をあけると水を貯めておくカップが入っています。このカップに水が入っていないと下水からの臭いが上がってきてしまうので、カップが乾いているという状態は本来ありえないのですが、カップはなぜかカピカピ。そしてその周りには無数のコバエの死骸・・・・。(虫注意)
この下にカップが有りそこに本来水が溜まってます。
ハウスクリーニングは入居前に行ってる筈なので、手抜きをされたのかそもそも業者は本来こんなところ掃除しないのかは定かではないですが、やり場のない怒りと脱力感とともに仕方なく掃除を進めます。
とは言え基本的に分解してスポンジやブラシで洗浄。カップに水を貯めて所定の位置に戻すだけなので難しいことはありません。
掃除も終わり洗濯機が来れば自宅で洗濯ができると思ったのもつかの間・・・。
本命の敵、中古洗濯機
正直中古洗濯機というワードだけで結構地雷ですよね。あの時の僕はなぜ冷静に中古家電のリスクを考えなかったのでしょう。
排水口の掃除も終わらせた僕は完全に安心しきって届いた洗濯機で洗濯を始めます。お恥ずかしい話洗濯機を扱ったことがなかったので、スマホ片手に色々調べながら脱水まで完了。洗濯物を取り出し干そうとすると洗濯物に何やら鰹節みたいな茶色いものが・・・。
触ってみるとヌルヌルしてるしなんかいっぱいくっついてるしこれはおかしい。放置してると臭くなってしまうので、とにかく急いでコインランドリーへ。コインランドリーの管理人のおじさんに缶コーヒーを奢って貰った時に今までの苦労から少し泣きそうになったのはここだけの話。
家に帰り洗濯機を見てみるとごみ取りネットに大量の茶色いカス・・・・。どう見ても洗濯槽が汚いってことだよね・・・・。
ということで洗濯槽の清掃にとりかかります。
酸素系漂白剤を使った洗濯槽洗浄
さぁ洗濯すらしたこと無い僕が洗濯槽の手入れなんて知るはずもなくここでもGoogle大先生のご登場願い、酸素系漂白剤を使った槽洗浄をすることにしました。
やり方は詳しくは調べていただくとわかりますが、ざっくり書くと洗濯槽になみなみ水を入れ水10Lに対して酸素系漂白剤を100g入れて洗濯機を回す。洗濯機によっては槽洗浄モードがあるのでそちらでもいいかも。水温は40~50度くらいが一番汚れが落ちるそう。後は汚れがなくなるまでゴミ取りネットなどでゴミを取り除いていく作業。これを何度か繰り返せば洗濯槽の汚れも取れるとの事なので、早速薬局で酸素系漂白剤を購入。500g入だったので一回の洗浄でほぼつかいきりました。(以下洗浄中の画像注意)
まぁ出るわ出るわ。こりゃ洗濯したらゴミだらけになるわけだ。
洗濯機のごみ取りネットから出てきた洗濯槽の汚れ。
水温がある程度あるのと漂白剤で洗浄しているからか、ものすごい臭い・・・・。
しかもいつまでたっても終わる気配が無い・・・・・。
ということで最後の手段に出ます。
思ったより長くなりそうなので続きは次回。
念願のMXを入手
こんにちは
写真展に出すために現像やらプリントやらをするために最近部室に入り浸ってる僕です。
さてさて以前物欲記事に貼ったアレモコレモさんが起こした奇跡の記事を覚えているでしょうか。
アレモコレモさん毎度毎度勝手にリンク貼ってすいません・・・。ただこの記事にはこのリンクを貼るしか無いと思ったので許してください・・。
こんな記事を見たり、twitterで煽られたりと色々したおかげで勢いに任せて物欲記事を先月書いたわけです。
そんな数ある欲しい物の中で自分でも恐らく一番最初に買うと思っていたMXを思わぬ形で入手しました。
物欲は時に奇跡を起こす
これは3日ほど前。写真展に出すための写真を現像するために部室にいた時、OBの先輩が部室にやって来ました。現像用品の買い出しやOBの先輩の個人的な買い物もあったので、先輩含め三人で近くのヨドバシに買い物に行くことに。その途中、車の中で僕がPENTAXユーザーであることやMXが欲しい話をしました。
すると翌日部室に3台のジャンク品MXを持ったOB先輩の姿が。3台のパーツを組み合わせて修理するとのこと。ニコイチならぬサンコイチ。この時は「この先輩すげーなー」くらいにしか思ってなかったのですが、修理が行き詰って先輩が帰ろうとした時、「直ったら君にあげるよ」と信じられない一言が。
その時のMXの状態としては露出計は概ね正常でしたが、低速シャッターでミラーが時々戻らなくなる、シャッターボタンを押すときに謎の引っ掛かりがあり硬い、という不具合が・・・。まぁ直らなくてもしょうがないし、期待しすぎないで待ってみようと思っていた今日。暗室で引き伸ばし機を使って焼き付けの体験を終わらせ写真の水洗をしていると、カメラバッグを持ったOB先輩の姿が。
そして僕に一言「直ったからあげるよー」
手渡されたMXがこちら。
美しい・・・・。
外見は一番綺麗な軍艦部から持ってきているので目立った傷も無ければアタリもなし。ファインダーも良好でかなり綺麗な部類。低速シャッターでミラーが下りなくなる不具合も無ければ、シャッターボタンもスムーズ。
小さく手に馴染む当時最小一眼レフ。夢に見たMX。更にこの先輩は何を考えているのかレンズ2本にカメラバッグまでくれるとのこと・・・・。これ近いうちに僕死ぬんじゃないかな・・・・。
ちなみにもらったレンズはsmc-m 50mm f1.7。こちらは持ってるので2本目。
そしてこちらの200mm f4。先輩曰くあまりいいレンズではないとのことですが、僕にとっては貴重。そもそもMXを貰えるなんて思ってなかった僕からしたらレンズまでついてくるなんてどうかしてる。
そんでもってこちらがカメラバッグ。黒地に赤のPENTAXロゴが大好きな僕にとて発狂モノ。今はこれ作れないんだよな・・・。RICOHの商標規約で色弱バリアフリーのデザインのため、ストラップも今では黒地の白の刺繍。K-xユーザーの僕からすると悲しくもあるけれどユニバーサルデザインなら仕方なし。
ちなみにMXについていたストラップも黒地に赤文字刺繍。何もかも完璧。
先日部からF3を借りてきたばかりだけどフィルム1本使ったら返却してこよう。そしたらしばらくはMXを愛でまくろう。最近RICOHFLEXⅶを溺愛してたけどこれからはMXかな。でも中判の現像から焼き付けまでの感動も大きいのは事実。出番は減るだろうけど、二眼は二眼で面白い。
とりあえず今日はMXを抱いて寝よう。物欲万歳。