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Enjoy pentaxian life

千葉県民の日なので津田沼のお話

雑記 千葉

6月15日。千葉県民の日。

47ある都道府県のうち千葉県民以外には全く関係無い上、公立小中高校生までにしかほぼ関係のない一日。公立の学校だと休みになるちょっとお得な一日だったのですが、決して祝日とかでは無いので土日と被るとなんの有り難みも無い日だったりします。ちなみに僕が高校生だった頃の最後の2年間は連続で土日と被ったので、そもそも高校は休みになったかすら覚えてません。

 

そんな千葉県民の日ということで、せっかくだから出身の千葉の小ネタでもやろうかということで今回は津田沼、中でも新京成についてのちょっとしたお話。なぜ津田沼なのかというと、高校・浪人時代にお世話になったのと、最近身の回りで少し津田沼の話題が出たので、そのまとめの意味も込めてということですので、別段大した理由はありません。

 

大半の人には凄まじくどうでもいい話だと思うのでお暇な方はお付き合い下さい。

 

軍都・千葉県

軍都とまで言ってしまうと大げさな気もしますが、千葉県は軍隊にとってもそこそこ重要な場所だったりします。今だと習志野駐屯地辺りは思い浮かぶ方はいるのでは。他にも現在では廃墟ですが、検見川送信所などの逓信建築も残ってたりしますね。

 

そんな中でも千葉は軍の鉄道連隊のお膝元。現在の西千葉駅津田沼駅周辺に軍の鉄道連隊の演習地が千葉には有りました。津田沼駅の南側が第二連隊の所在地で跡地は現在千葉工業大学の敷地となっています。鉄道連隊正門は同大学の敷地内に残っており、現在国の登録有形文化財に指定されています。西千葉駅周辺にあった大一連隊は現在千葉経済大学のキャンパス内に材料廠が、千葉公園内に演習用橋脚とトンネルのドームが遺構として残っています。

 

元第二連隊の演習線・新京成線

千葉県内に存在した第二連隊ですが、演習線が新京成線として残っています。これは戦後演習線を京成へ払い下げたもの。演習線の軌間は600mmと実に狭いものでしたが、払い下げ時に1067mmに改軌。その後何度か改軌を繰り返し現在の1435mmになります。新京成線が以上にカーブ区間が多いのも演習線だったためです。現在の新京成線はほぼ演習線のルートですが、一部変更になっており、その廃線跡も微妙に残ってるとか残ってないとか。

 

3度の移転をした新津田沼駅

さて今回の本題(?)の新津田沼駅のお話。

新津田沼駅は1947年の開業以来3度の移転を繰り返し現在の位置にいます。ちなみに千葉駅も移転して今の位置にあるんですよ。本来千葉駅は拡張工事の予定でしたが色々闇の深い理由での移転だったりします。その名残が千葉にはあるんですが、それはまた別のお話。このブログでは触れないことにしよう。

 

では4度の移転のを当時の航空写真とともに追っていくことにしましょう。

今回使用する航空写真は国土地理院の「地図・空中写真閲覧サービス」

http://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do#1

こちらのものを使用させていただいております。

 

1947年開業時

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こちらが開業当時の津田沼駅周辺。ペイントでの雑なものですが、青枠の部分が鉄道連隊で現在の千葉工業大学ですね。赤丸が当時の新津田沼駅。当時はまだ軌間は1067mmです。現在よりもややJR津田沼駅寄りの位置にありました。

 

1953年一度目の移転

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先ほどより少し引いた画で解像度も低いですが、赤丸部分が当時の新津田沼駅。写真は1958年のものです。画像右上部から線路が分岐しているのがわかります。この分岐部には現在前原変電所が残っており、当時の名残が見られます。この大胆な移転は津田沼駅とは少し離れた京成津田沼への乗り入れのためで、この新線により新京成線京成津田沼~前原間が開業します。

 

1961年初代の位置へ再移転

1953年の移転から8年後。当初の路線を復活させ元の位置に新津田沼駅が戻ってきます。線路や駅の位置は同じなので画像は省略しますが、2代目新津田沼駅は藤崎台駅と改称。この時、現在イオンモールがある位置に京成の工場があり、藤崎台・新津田沼両駅からの引き込み線が存在しており、ループ状の線路になっていました。

 

移転の理由として大規模団地誘致の際、日本住宅公団から津田沼駅への乗り換えが不便であると移転要請があったようです。

 

1968年現在の位置に移転

津田沼駅への乗り換えが不便と言われ移転した新津田沼駅ですが、利用者から「新津田沼行きと京成津田沼行きがあるのはややこしい」と言われ結局藤崎台を通るルートを廃線とし、新津田沼駅を現在の位置に移転し、京成津田沼~新津田沼間が開業します。

 

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その後1977年に写真のように駅ビルが完成します。この当時はまだ藤崎台を通るルートの廃線跡が割りとはっきり確認できます。

 

藤崎台を通る支線跡は現在イオンモール東端付近から県道69号線へ向かう道が確認できるのみで、そこから先の前原変電所までは完全に宅地になっています。

 

 

ざっくりではありますが、千葉の小ネタと新津田沼駅の変遷をまとめてみました。とはいえほとんどWikipedia大先生のお陰ですが・・・・。

ちなみにこれもWikipedia大先生からですが、津田沼という地名は谷津村・久々田村・鷲沼村・藤崎村・大久保新田の5つが合併。中核だった谷村・久々村・鷲村の3つから一文字ずつ取り津田沼となったそう。5つの村の名前の内4つは地名として残っていますが、久々田村は現存せず。現在の住所だと習志野市津田沼の周辺が旧久々田村だったようで、ポーラ化粧品久々田営業所が京成津田沼駅近くにありなんとか地名の名残が確認できます。

 

以上千葉家県民の日キャンペーンでした。

そろそろこんな記事でお茶をにごしてないで、シャッター切らんとな・・・・。